1950年から
3年に及ぶ朝鮮戦争を経て
南北の対立を激化する。
その対立は今も終わっていない。

(1950年起,经过了长达3年的朝鲜战争后,南北的矛盾激化。这个对峙至今仍未结束。)

本国の分断は
日本で暮らすコリアン達
「在日」にも大きな影響を与えた。
在日の人権獲得運動も
強い政治色を帯び二極化していく。

(祖国的分裂深刻影响了在日本生活被称作“在日”的韩国人(朝鲜族人)。这些在日群体的争取人权运动,也带着强烈的政治色彩逐渐两极化。)

在日は、約99%以上は「韓国出身」
であるが、政治的背景により
二つの国籍「韓国籍」と
いわゆる「朝鮮籍」に分かれる。

(虽然“在日”群体99%以上是“韩国出身”,但根据政治背景被分为了两个国籍,“韩国籍”和“朝鲜籍”。)

その中で
北を支持する在日本朝鮮人総連合会
「朝鮮総連」と
南を支持する在日本大韓民国民団
「民団」に分かれた。

(其中,还被分成了支持北部的在日本朝鲜人总联合会“朝鲜总联”和支持南部的在日本大韩民国民团“民团”两个部分。)

同じ朝鮮半島「南」出身者同士の
イデオロギーの対立が激化する中
在日は、
生活の貧困と同時に日本社会での
激しい民族差別に苦しんでいた。

(通常是朝鲜半岛“南部”出身的人,但意识形态却不同。在这样的对立深化的过程中,在日群体还要忍受生活的贫困和在日本社会严重的民族歧视。)

当時 韓国の政治経済状況は
不安定であり、一方で旧ソ連の影響下
経済的成長が見られた北朝鮮に
多くの在日が希望の光を求めた。

(当时韩国的政治经济状况处于不安定状态,倒是在老苏联的影响下,北朝鲜有了明显的经济增长。对此,很多的在日群体看到了希望之光。)

1959年から
20数年間の「帰国事業」で
9万人以上の「在日」が北朝鮮に渡る。

(1959年起,通过长达20余年的“归国事业’,9万人以上的在日群体涌向北朝鲜。)

「民族の大移動」と
美化されたマスコミの報道と
北朝鮮を「地上の楽園」とした啓蒙に、
多くの「南」出身の在日が希望を託し
「北」へ渡った。

(通过将之美化为“民族大迁移”的媒体报答以及将北朝鲜认为是“人间天堂”的启蒙下,很多“南部”出身的在日群体寄托着希望,向北部迁移。)

多くの「帰国者」とその家族が
日本と北朝鮮の国交樹立、民族統一を
信じたが 未だ実現されていない。

(虽然很多的“归国者”和他们的家族都相信日本会与北朝鲜建交,南北会统一,但是这个愿望至今仍未实现。)

「帰国者」と呼ばれる彼らは、
一度も訪れたことのない未知の国
である北朝鮮に渡った人たちである。

(被称作“归国者”的,就是那些迁向一次也未曾造访过的土地北朝鲜的人们。)

北へ渡った「在日」たちが日本に帰る
ことは、今も許されないままである。
(迁向北朝鲜的在日群体们,至今也未被允许回到日本。)

亲爱的平壤ディア・ピョンヤン(2005)

又名:Dear Pyongyang / 디어 평양

上映日期:2006-08-26(日本)片长:108分钟

主演:梁英姬及其家人 / 

导演:梁英姬 /