『残穢』的十三篇解读,作者讲了很多民族学的东西,觉得很有意思所以在此备份一下

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『残穢』解説 其の一 概要説明
2016-01-26 13:29:53

『残穢』読み終わりマシタ。
映画公開後に書き始めようと思っていたのですが、これが結構面白くてですねw
解説するとなると長編になる可能性があるし、コンセプトの説明もしたかったので、気楽にマッタリ楽しんで頂けると嬉しく思うのであります。
『残穢』を僭越ながら解説してみようと思うのは、ここに表現された民俗学的概念が興味深い。というのもあるのですが、現在起こっている現象に少々、私的に注意がいるかも。
という、全く根拠のない仮説を基にした「懸念」があるからです。
基本、小説とか読まないタチなので、手法や技巧はよくわからないですけど、一応文学部出身なのでなんとか灰色の脳細胞を呼び起こしてやってみたいなと。
思うのであります。
ナナメ読みにも程がある解説になるとオモイマス。

この『残穢』は、ジャンルでいえば「ホラー小説」で、読んだ方はお分かりかと思いますが、まー素晴らしいリアリティなのであります。
全文が実録怪談ルポルタージュ風に展開し、読み進めるごとに怪異の原因が明らかになっていく構成です。
内容を簡潔にご紹介しますと。
小説家の「私」はかつて自分の書いていた小説の末に怪異譚の募集をしていました。
そこに久保さんという女性から相談の便りが寄せられます。
最初は畳をする様な奇妙な「音」の相談から始まりますが、次第にそれが「首を吊った女」である事が発覚していきます。ところが不思議な事に、その部屋には首吊りの過去が存在しない。
それどころか、他の部屋でも同じ現象が起きている事がわかります。
そのうち調査を進めると複数の赤子の声、床下で恨言を言う男、焼死した男など、かつてこの土地一体に怪異が起きていた事が発覚し、どうやらアパートではなく「土地」そのものにに原因があるのではないか。というのが序盤の流れです。

主人公の小説家「私」はこれを民俗学的概念「穢」と推察します。
触穢信仰ですね。
穢は伝染するという性質が『延喜式』には定義されているのです。
「私」はこの穢に接触したが故に同じ怪異が二つの部屋で起こるのではないか。
というわけですね。

地縛霊ではない。
悪霊=穢れ。

という発想をしているのですな。
この女の霊がアパートの一室に固執するのなら、俗に言う地縛霊であり、他の部屋に出るなんて事は傾向上可能性が低い。かつ、悪霊そのものを穢れと定義する事で伝播形態の説明もつく。
伝統的な触穢信仰でならこの奇妙な状況を説明できるわけです。面白い。
触穢の解釈が伝統的な『延喜式』の記載と異なっているのですが、後にちょっと触れ、詳しくは後日また書きます。

物語はアパートが建つ前の建物の調査へ。
高度成長期、戦前、明治大正期へと時を遡り。
次第に全ての怪異の元凶に近づいて行く。
そんなお話です。

淡々と続くルポルタージュ風の運びが、人によっては不評みたいですけど、リアルですよ。
物語の中では調査開始から七年以上経過していますからw
実際、郷土調査している身としてはリアルだなぁ。なんて思っちゃいます。
結構、行き詰まります。
そしてある時、突然、ヒントが出て調査が続行できる様になる。
そしてとんでもない事が発覚する。
リアルです。
また、個人的にすごいムフッとしたのが、私宅監禁のくだり。
俗に言う「座敷牢」です。
当時は精神病を患った親族を施設に預けず、私宅で監禁していた過去があります。
『獄門島』とかでも出てきますけど、現代では考えられないですね。
法律で許されていました。
戦前まで土地の履歴を遡ったのですが、当時を知る人がいなくて調査行き詰まるんです。
ですが、大正時代に全国的に調査した記録から土地の所有者が発覚します。
小説の中では出版された本は伏字になっているが、元になった論文があって、そこには個人名が書いてある。
っていうんですが、これですね。
私、本持っているのでわかったのですが、実際その条件ぴったりの人っているんですよ。
呉 秀三先生の『精神病者の私宅監禁の実況』の事ですね。

「我が邦十何万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸の他に、この邦に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」

なんてのが帯に書かれていますが、真に然り。
小説の中ではその名は出てこず、さらっと書かれてますが、知るが故にリアル。スゲーって思いました。
小野先生……ホントに調査してません?調査しましたよね??
っていうのが察せられるほど、実は理に適ったルポルタージュなんですよネ……

なんで、お前、そんな本持ってんだよう。気持ち悪っ。

それは私が変わり者だからであります。イエス。
実際は、このいわばロクな治療も受けさせてもらえず、事実上軟禁されていた彼らに施されていた民間療法、つまり加持祈祷の類の「実際」を知りたかったので、たまたま持っていただけですけどネ。
県内の情報も載ってるし。
国会図書館で元の論文もあったハズ。
学生時代に先天性障がい者のボランティアサークルに入ってましたからなぁ。
決してふざけた興味で読んで無いですぞ。
うん。(念のため自己弁護w)

まー。
リアルなんですよ。
リアルが故に、ちょっと心配な事もある。

小説の中で「私」も指摘しますが、穢は伝染性質を持ちます。
それは確かなのですが、元来は『呪怨』みたいに無秩序に広がるわけじゃない。
穢れは祓えるし、封殺できるし、無害化できる。
ところが、仏教の「不浄」という概念と習合し民間に広がっていった過程で、どうやらこの概念に変化が起こっている。
血を持って穢れが継承されるという様な概念がかつてあったんです。
暗い日本の歴史ですが「穢多」と呼ばれた被差別民が、かつて居たのです。
先祖が穢れを嫌う貴族に代わって、死んだ馬の処理とかを職業としていた。ってだけで明治頃まで差別を受け続けた人々がいる。
今でも部落差別などで影を落とす。
そんな暗い歴史。
つまり、元来「祓える穢れ」は日本人の差別意識と共に「祓えない穢れ」へと変化しているのです。
突然ですが、説明端折りますけど、罪と穢は密接な関係にあります。
この根拠は日本神話の中にあるのですが、今回は飛ばしてですな。
ちょっと試してみましょ。
これは井沢元彦氏が指摘していたことですが、罪を犯した人が服役し、罪を償い出所したとしますよ。
元来ならですよ。西洋とかではそうですが、罪を償ったのだから、後は普通に就職をし生活し幸福を追求する権利があるはずですよね。
まさに「禊ぎは終わった」ってやつですよ。汚職議員がよく口にする。
こんな慣用句がある事からして罪=穢という構造が根底にある証拠みたいなものですな。

ミソギは終わった。

でも、日本人ってそうは考えないですよね。
可哀想な事ですが、服役した人物ってなぜか一生消えない烙印を押された存在にならないでしょうか?
一切の権利を剥奪され、自由を奪われ、罪の清算を終えたのだから、後はなんの遠慮も要らないはず。
ですが、日本人はなぜかそれでも許せない。
これが「祓えない穢れ」
日本人て、どっか差別意識が内在化しているんです。
そして、比較的それが、自分では意識できていない。
白眼視されて当たり前だと思っている。
元来、「祓える穢れ」が祓えなくなっている。


穢れは二種類存在する。


今回の『残穢』
「祓えない穢れ」の方なんです。
レビューや映画の番宣で使われていますがこの『残穢』を読んだ後、余りに怖すぎて手元に置いておきたくない。という評判が立っていますが。
それ、小野先生の卓越した文章表現が原因。


だけでしょうか?


私は個人的に違うと思うのです。
この表出していない日本人の民族的意識が、この本を拒絶させている気がしてならないのです。
明らかに過剰な反応だと思うんですよね。
もっとも少々性急な気もしますけどね。
というのも、この本が山本周五郎賞を受賞した際、選定委員の某先生が「本棚に置いて置く事に抵抗がある」というような発言をしておりますからな。
コレが喧伝材料になって、現在の様な状況を生んだ。とも言えますしね。

しかし、私はやはり民族的な忌避傾向が過剰に出た可能性を疑っています。
どうやら、人によっては少し心の中の柔らかい部分。
日本人しか持たないトリガーが。
ちょっと刺激されるのではないかと、思うわけです。
精神衛生上良くない状態に陥らないとも、限らない。

このリアリティ。この内容。穢れをテーマに選んでいる事。
作者の小野先生はじめ、誰も罪が無いし、攻めるべくも無いのですけど、少し影響を受ける人が出るかもしれない。
フィクションといえども、奇妙な社会現象は例がありますからな。
小説の中の例を借りれば「四谷怪談」とか。
あれ、元は歌舞伎ですよ。
元になった事件はあるみたいですけど、創作です。フィクションです。
でも、なぜか実際に四谷怪談を扱うと霊障らしき事が起こる。
不思議ですが、実際にそういう現象が起きます。

この小説を読んでから家で変な物音がする様になった。

そんな人も出かねない。
しかも、この小説の中で語られるのは「祓えない穢れ」
はっきり言って気のせいですけど、この本人が意識できない内在化した穢れの痕跡が、この小説の「穢」の概念と妙にシンクロしてしまうと、精神衛生上良くないですな。

この「祓えない穢れ」と戦うには幾つか方法が浮かぶのですが、私は加持祈祷なんてしませんし、できませんからネ。
人間、わからないモノは怖いものです。

なので、自分は一体何に恐怖して、それが何に起因しているのか。
それを明確にする事によって、以って「祓い」とする事ができる。

要は、これが私の考える「お祓い」なのであります。
こんな寂れたブログで精神科医でもなんでもないオッさんが解説したところで、何かの役に立つとは思わんが。
起こる悲劇の可能性を予測し潰すのは、風水的な性分でありますヨ。
自己満でっすw
うふふ。

と、いうわけで、次回から現象の解明を映画の公開と共に反応を見ながら解説していこうかなと、思うわけです。
民俗学的概念「穢」が今回の小説への過剰反応と関係しているかも。
なんて。

我ながら電波だよなぁw
自分の事をオカシイって思うヤツはオカシクナイんだよなぁ。(byジョジョ)

でもやっぱり心配なんだ。
だから警告なんて大層なものではなく、繊細で感受性が強い一部の方に現象原因を解説する事により。

明るく、楽しく過ごして欲しいのだ。

カラクリがわかれば、妙な現象に悩まされる事などナイ。
神道や陰陽道の概念はキリスト教と違って開祖も教典もない。
だから、日常生活に内在化して知らずに継承されるものなのだから、認識できないのは当たり前。
穢れの概念も知らずに継承されているのが日本人です。
だから、それの正体を知れば。後は怖くない。

と、信じております。
えぇ。


『残穢』解説 其の二 『延喜式』の解釈
2016-01-29 20:32:13

『残穢』いよいよ明日公開ですな。
長野市は流行りのタワー型複合施設ではなく、ふっるい劇場でやりますのでまー。
怖さ倍増ですナ。
色々声掛けたけど、怖いの嫌だって拒否られたので、予定通り独りで観てきまっすw

民俗学的概念「穢」が今回の小説の前評判「読んだ後手元に置いておきたくない」という反応に関係があるのではないか?
というのが私の仮説なのですが、今回はちょっとそこを掘り下げてみようかと思います。
その後皆さんがどう感じるか。はもちろん自由ですヨ。
それを踏まえて、この小説に表現された穢れの性質を解説してみましょ。

『延喜式』に云う。

凡甲處有穢,乙入其處,【謂著座。下亦同。】乙及同處人皆為穢。丙入乙處,只丙一身為穢,同處人不為穢。乙入丙處,人皆為穢。丁入丙處,不為穢。

これが「触穢」に関する部分の記載です。
意外に短いですよね。
小説の中の主人公「私」もこの記載を基に考察をしているのですが、見てもらうとわかる様に甲乙丙丁で解説してますよね。
なんか法律の文章みたいですね。
ちょっと現代語っぽく直し、かつ言葉を補ってみますね。

「甲」という穢れた場所に「乙」という人が入った場合【進入して着座したものとする。以下同様】、「乙」は穢れ、帰宅すればその家族も穢れます。「丙」という人が「乙」の家で着座した場合、「丙」ただ一人が穢れ、そのまま帰宅しても家族は穢れません。「乙」が逆に「丙」の家で着座した場合、そこに居る「丙」及び家族は皆、穢れます。「丁」が「丙」の家で着座した場合はもう穢れません。

余計わかりにくい?w
簡単に言うと、穢れに直接触れた人間が方々の家を訪れて、着座したり、食事を共にしたり、同じ火を共有したりしない限りは、穢れは広まらない。って事です。
ポイントは二つ。
穢というものは伝染する性質を持っている。
ただし、感染する度に、感染力が失われていく。って事です。
更に補足しますと、穢れは物忌み期間を過ぎれば消滅します。
最も重い物忌は死穢の30日。
かつ、禊ぎや祓えで穢れは落とせます。

元来の神道の概念は怖いものではないでしょ?
これを是非、皆さんには知って欲しいのですヨ。
怖くない。
ダイジョーブ。

なのよ。

じゃあ、なんで『延喜式』はこんな規定を載せているの?
めんどくちゃい。

どうやら大元は中国の天人相関説に根拠がありそうですよ。
古代中国では「天」という非人格神を想定していたのですが、人格を持たないというのが、ちょい説明が困難ですね。
宇宙の法則みたいなものですかね。
インドもブラフマーみたいなものです。
うん。わかりにくいね~w

説明し直そう。

森羅万象を司るなんか、よくわからない存在があって、地上の人間はこの存在の意志を伺いながら生きているわけです。
地上の皇帝は、この天から地上を支配する権利をもらった存在。という解釈をしていたわけだ。
天命は我にあり。
とか『三国志』なんかでありますよね。
うん。
皇帝はそれゆえ、天と民衆の間の存在であり、人間の代表者なわけです。
ゆえに、良い君主でないと、天が怒り、天変地異を起こすとされていました。
政治をせず、エロい姉さんと遊び呆けていると。
天が怒り、君主を滅ぼす。(実際は弱い民衆が皇帝の行為を見咎めて、「天が見放した」って気運を高めるから、結果として国が滅ぶんだけどね。そういう民意を反映するシステムなのよ)
楊貴妃とか、いっぱいそんな話ありますけどね。
つまり、皇帝という存在は天と相関関係にある。
皇帝の行いが良ければ、天変地異も起きず、疫病も、凶作もなく。
皆が幸せに暮らせる。
そういう考えがあった。それが「天人相関説」
日本もかつてこの考えを採用していまして、天皇もまた穢れを受けてはならない身。
とされていました。
天変地異の引き金になると信じられていたわけです。

つまり、『延喜式』の記載は「天皇に穢が及ぶのを回避する為の記載」なわけです。

この点、相当気を使っていたみたいです。
現代感覚ではただの迷信なんですけどね。
こんな事言ったら怒られちゃうかな?
失言をお詫びします。

では。
小説に話を戻しましょう。
小説家「私」は大変理知的な女性で、先の『延喜式』の記載を基に考察を試みています。
こういうケースの場合はどうなるのだろう。
ああいうケースの場合はどうなるのだろう。

その中の一つ。

死穢の発生した場所において、更に死穢が発生した場合、穢れは倍増するのか。
感染力は高まるのだろうか。

「私」は『延喜式』の記載の中に、このケースはあるのだろうか。と調べてみます。
そしてどうやらないようだ。という結果に至ります。

実際はどうなのでしょう。

はい。
「ない」です。

本当にそういう場合は規定されていません。
規定がないのだから、ないのでしょう。

って私は思いますけど、「私」は違います。
規定がないのだから、そういう事もあり得るのかもしれない。
って考えるのです。
祓いきれない。強い怨念のこもった「穢」。
これが積み重なった場所。土地の因縁に話が展開して行きます。
これが小説のタイトル『残穢』なわけですな。


実際はどうなのでしょうね。

皆さんはどう考えますかね。


論理学の問題みたいですね。
面白いですね。

記載が「ない」のだから、穢れが倍増するなんて事はあり得ないだろう。
そもそも穢れに質量や濃度なんて想定されてないのだから。
いやいや。何を言っている。
記載が「ない」から「ない」なんておかしいだろう。
正確には「ないかもしれない」だろう。
全否定じゃなく、部分否定だろう。
小説家「私」は正しいよ。



実際はどうなのでしょう。



ね。



あたくしは全否定の「ない」に一票だ。
そんな、精神衛生に宜しくないモノに怯えるのは馬鹿げとる。

馬鹿げとるよ。


と。
いうわけで、今回はおしまいであります。
要は、この小説。

伝統的な穢れとは解釈が若干違っている、あくまでフィクションって事ですね。
映画を観に行かれる方はその点、是非とも、こう。
くっと背筋伸ばしていただいてですな。


楽しんで観て行きましょ~。

俺も明日、イッテキマース。
(このブログでかえって怖さ倍増させちゃったかなぁ。とか、今、少し反省しているw)


『残穢』解説 其の三 観てきました。
2016-01-31 01:24:02

映画観てきましたよ。
うーん。
星でいうなら2.5かなぁ。
怖いし、面白かったけど、原作のリアリティが半分も表現されていない印象。
かつ、穢れに関してはお触り程度。これは個人的にはヨカッタと思っている。
色々と書かないのも卑怯だし、気付かれている方も多いでしょうけど。
要は私は、未知の「文化依存症候群」の痕跡をここに感じているわけです。

文化依存症候群

ある地域、民族、文化環境において発生しやすい精神障害。
日本人に多いとされるのは対人恐怖症。
ジャワのラタや韓国の火病は実に興味深い。

穢れの忌避は潔癖症とは少し違うが、何か関係がある気がしてならないが…はてさて。

うん。
まぁ、こんなハナシ、どうでもよいなw

今回は映画の感想に終始しよ~。

もーね。
小説がオチなしって声がある中の映像化でしょ?
そら、考えるし、追加するわな。
で、それがなんか的外れな感じで、薄まっている印象ですなぁ。
ちょっと残念だな。
なんか、とっても変な気分なので、このブログでは少し原作を斜め解説して。



……もっと、怖くしたろ………



って気分にナリマシタ。
フハハハハハ…

リアリティもなんか欠けるのですよ。
終盤、全ての怪異の震源地を発見し、廃墟に潜入するのですがね。

スゲー普通なんですよね……

原作はですね。
先ず、昼間のうちに下見して。
皆で夜に潜入する訳ですが、コッソリ裏から入って、そこで初めてライトを点ける。
もし、見つかったら取材だと言いますから、皆さんはそのうちに逃げて下さい。
なんて下りがあって、もう、不法侵入の手口までもリアルに描かれているのですよ。

映画では皆んなして懐中電灯で外観照らして、そんなんしたら速攻通報されるゾ、って具合でしてw

なーもー。

って、イライラしましたわ。

私は廃墟探索なんてした事ありませんから気持ちはわかりませんけども。
一般的に何か怪異を期待して行くのでしょう。
でも、私の探索者の精神分析でいくと。
怪異の他に痕跡もまた楽しみの一つではないか。って思うのです。

チョットネタバレしますよ。

この廃墟に潜入したら、神棚があり、仏壇があります。
でも、奥の部屋に行くと、更に仏壇がある。


二つの仏壇。


一般家庭ではあまり例がない。
部屋の隅に水の入ったコップ。
一面に貼られたお札。


実際、廃墟探索していて、こんな痕跡を見つけたら、皆さんはどう感じますか。


あぁ。
ここ。

出るんだ。


ヤバい所だ。


居たらマズい………


ってなりますよね。

ここに住んでいた人物は、必死に怪異に抵抗していた。
闘っていた。
神にすがった。
仏にもすがった。

でも。
それでも、どうにもならなかった。

だから、この土地を棄てて逃げたんだ……


ってのが、痕跡から推察できる訳です。
ゾッとしますぞ。

映画、その描写が下手くそなんですよねーw

更にその先が、もー。
魅せ方、下手でしたなぁ。

神にすがり、仏にすがり、それでも効果がなかった住人は更に他のモノにすがります。
小説では実に象徴的なあるモノが出てくるのですが、映画ではカットされてました。
だから余計、なんだかなって感じになりますよ。

住人の苦悩と格闘の痕跡がうっすいのが、何か、ションボリでしたヨ。

まぁ、全体的に面白かったですヨ。
星でいうなら2.5ですけど。

と、いう訳で。
次回は怖くします。

かつて2ちゃんねるで話題になった「おつかれさま」を取り上げます。
知らない方は検索してみてね。

ただし、最初に提示される画像は念の為、見ないで下さい。
心身症は、フィクション、ノンフィクション関係ないですから。

あれもまた、精神衛生に良くないぞw


『残穢』解説 其の四 浄化の両義性
2016-01-31 10:53:24

穢れを落とすのはやはりお祓いなのですけど。

伝統的に効果があると考えられているのが、火と水ですよね。
火は護摩祈祷。水は水垢離などで知られます。
でも、ちょっと考えてもらいたい事もあったりします。

私は視点が独特なので比較的目にするのかもしれませんが、よく見られる家庭でもできるお祓い的な情報で、お風呂を使ったやつ。

お風呂に水を張り、塩を少量入れ、心身を清めます。

清め終えたら。


浸かった水は必ず捨てましょう。



???
不思議じゃありません?
浄化力のある水。
ですよ。

なぜ捨てる。
なんで?

でも、冷静に考えると、なんか「正しい」気がする。
穢れを祓い落とした水。
浄化能力がある水。
なんですけど。

なぜか。


落ちた穢れが、この水の中に留まっている気がする……


水や火はですね。
伝統的に浄化能力があると同時に。
穢れを媒介するモノでもあるんですよね。
これは昔から言われていた事で、伝染の媒介として登場するのです。
水や火、穢れに触れた人間以外にも、実は媒介するモノは他にもあるのですが、それは後日触れますね。
この小説の中に、直接は出てこないけど、実は登場している。
映画ではモロ出てました。
気が付いた人いたかなぁ。
いたら嬉しいなぁw

話を戻しますな。

2ちゃんねるで話題になったオカルト話「おつかれさま」
これも実に象徴的ですよね。

チョット呪詛が関わるので簡潔に内容説明しますと。
スレッドでとある画像を見ろ。
ってスレが立つ。
そして決して見てはいけない。見たらお祓いするので言ってください。
みたいな掲示板が書き込まれるのです。
当然、見てしまう人が出る訳で。

お祓いして下さい。というとスレ主が謎の呪文を書き込み、水を用意し、それを飲む様に指示します。

おつかれさま。

スレが進むにつれ、なんかおかしくないかって人が出てきます。
(この時点でスレ主、及びスレ主と思しき人物は姿を消している。)

お祓いに使った水を飲ませるなんて、おかしいって言うんです。

「おつかれさま」は「お憑かれさま」の意味じゃないのか。
このスレ主は何も知らない人を騙して、呪詛を使ったのではないか。

という憶測を呼ぶ。

という様な、お話なんですけどね。

謎の写真を見てしまった人は、この用意させられた水は浄化の為の水だと、信じている訳ですね。
ですが、実際は、周辺の浮遊霊を呪文によって封じ込めた穢れた水。だった訳です。
それ、飲んじゃった訳です。

この、心理トリック。

巧妙とも言い難いですが。
要は、何も知らない人は水がお祓いに用いる浄化能力がある物質だと、しっかり理解しているわけだ。
また、同時にこの行為に疑問を持った人物は、この水が穢れを媒介する存在だと。これも不思議と認識しているわけです。

この「おつかれさま」には、二種類の、伝統的な、水の存在が登場し、それを皆さんよくご存知だという事が興味深いですね。
皆さんも納得されているかもしれませんね。
水ってなんか、そんな存在ですよね。



では。
ここで質問です。






その、神道的に伝統のある「水」の両義性。
その知識。







どこで身につけました?







…………………
学校じゃないのは確かだな。










日本人って、基本無神論だし、仏教は檀家の関係で宗派ぐらいは言えるけど。
神社に関してはほとんど接点を持たない。
キリスト教みたいに日曜学校なんて無いし。
そこで有り難いお話なんて聞く風習は日本に無い。




日本人の心の中には、なぜか不思議と神道の概念が埋没しているのです。


時代も世代も変わっているのに。
どういうプロセスでそうなるのか。




私は未だに答えを出せずにいる。


『残穢』解説 其の五 閉鎖空間
2016-02-03 19:21:30

穢れが及ぶ空間や建物の構造などは『新儀式』や『文保記』などに細々あるのですが、基本的に穢れというモノは開放空間では問題とされない事が多いです。
要は道に野晒しになった御遺体とかは、死穢は発生させるものの伝染性質はあまり煩くは無い。
それもそのはず、当時はそれを問題視していたらキリがない。
都の外は死屍累々ですよ。
超格差社会デスカラネ。

穢れの侵入を防ぐ為に多くの例があるのは囲いや遮蔽物。
家の中で死者が出た場合、この囲い内が穢れたと考えていますね。
もっとも、例外もいっぱいあるけどね。基本的にはそんな感じ。

先のブログで触れましたが火と水以外にも穢れを伝染させるモノがあります。
今日はそんなところからスタートであります。
この閉鎖空間は外気の穢れから家を守る為と、逆に穢れを内部に封じ込める為という用途が想定されていたわけですが、小説の中で俗に言う「いわくつき」のモノが二つ登場するのです。
映画ではもっとも出てたけどさ。

その一つ「顔が歪む美人画の掛軸」
これが、実は閉鎖空間と関係しているのではないか。と勝手に思っているのです。
(こっからネタバレしますよ)

土地の縁故を遡る家庭で、いよいよ当時を知る人間がいなくなり、聞き込みから史料調査に移行せざるを得ない感じがよく表現されていまして。
お寺のお墓とかを調べるわけですね。
すると、問題が起きていたであろう家から、お寺にかつて掛軸が預けられていた事が発覚。
過去帳に次の文字があるのです。


婦人図一幅


先々代住職の忘備録から、これがヤバいヤツだっていう事がわかるのですが、結構、ゾッとします。
どうやら座敷牢で私宅監置されていた男性の家に九州からやってきた主人の嫁の嫁入り道具だったようです。

原作では戦災で焼けた事になってるのですが、映画では。まだある。っていう設定なんですよね……
うわぁ。
こえぇ。
呪物を嫁入り道具にすんなやw
でも、これにも理由があったりする。
原作でも映画でもその理由は語られませんけどね。
後に、なるほどな。って展開になっていきます。
そこで、も一回、ゾッとしますw
この嫁、これがヤバい掛軸だと知って持ってきている事にゾッとする。
深読みしてみてね。

基本、呪怨と同じ構造なので、悪霊の霊障に触れたら悪霊化して伝染する設定なので、首吊り女や赤子の声、床下を徘徊する男とかは、直接、又は間接的に。

コイツにヤられている訳ですな。

コイツが持ち込まれたのがきっかけでこの土地、オカシクなった。
つまり、この掛軸が穢れを運んだ事になります。


これがなんで閉鎖空間と関係がある?


火・水以外に穢れを媒介すると考えられていたもの。
それは

箱、櫃、巻軸。

箱や櫃(ヒツ)は密閉可能な容器であり、巻軸や続文も同様な発想をしています。
これはおそらく塀や外郭によって封じ込める事が出来る穢れの性質が発展か、或いは拡大解釈されたものと思われます。
実際に例もある。



……………




掛軸。



そんな美術品を。




小脇に抱えて運ぶまい?




……………



お、おまえ……
ただでさえ怖い原作に、妙な解説加えて余計に怖くすんなやぁ!




……………(無反省)


『残穢』解説 其の六 土地の記憶
2016-02-04 15:04:09

この小説は穢れというよりは土地の記憶を追うお話だと。個人的には思うのです。
色々面白い事がわかるのですが、まず、大前提で言える事は。

主人公の「私」は小説家だ。という事で、かつ怪奇怪談を扱う商売だ。という事ですね。
怪異に対してもっと距離があるのは、例えば、物理学者や民俗学者。
そういう一歩引いた感じじゃないのです。
でも。
小説家「私」は全編通して、霊の存在に対して距離を置いており、「怪談の法則で解釈するなら」と言ったセリフも出てきますけど、冷静で理知的で、恐らく霊の存在自体信じていない。
原因不明の体調不良に悩まされたりもするのですけど、霊障とは考えず、実際に違ったようですし。
一見、物理学者や民俗学者と同じスタンスのように思えますが。
実はそうではなく、前提で違う気がするのですよ。

物理学者や民俗学者なら、先ず家に不審な音がする時点でアウトです。
相手にしませんw
それじゃあ、話進みませんからなぁw

という事は何が言えるのか。
小説家「私」は十分、迷信を盲信している。という事です。
怪異に対してフラットなスタンスではありますけど。
実は違う、しっかり受け入れている。という事が言えるのではないでしょうか。


冷静に考えれば、日本人ってなんで前の住人が不審死してたら嫌なんですかね?

前の住人が自殺している。
だからなに?
それがどうした?

なにか、問題があるとは思えない。
実際、欧州では霊の出る物件は、人気があって、家賃は逆に高い場合もあるそうです。

文化の違いですよねw
映画の番宣にも、パンフにも出てきますけど。

大島てる。

事故物件をネットにアップするサイトを運営している人物ですけど。
不動産オーナーの立場になれば、まー悪魔っすわw

物件、死んじゃいますよ。
そんな事を永年やられたら。

日本人そういう家は、心理的に死穢れの家と認識するので。
でも、消費者法では心理的瑕疵の情報を発信する事は、逆に消費者が不利な条件で契約しない為にはオッケーな行為であったりする。
昨今はこういう心理的瑕疵は契約時に通達するのが主流との事。
私が不動産屋にいた頃は次の住人まででしたけどね。
最近は違うんですねっ。


鬼の一言ですな。


小説家「私」はこの点、突っ込まないよね。
本来ならナンセンスな話なんですけど。
「私」を含め、ここ、結構問題になりませんナ。

土地の記憶を穢れと仮定するのは如何にも民俗学者っぽいですけどね。
違うんですよね。
現象の説明に用いているだけで、実際は小説の中ではその点のみに登場するだけ。
あとは土地の記憶を遡る旅です。

もっともっと遡ればよかったのに。


そうすれば、もっと面白い怪談がw

深夜に金縛りにあって、目を開けると……
目の前に棍棒を振り上げた


ネアンデルタール人が。



ウホウッ!



はうぁ!(by漫◯画太郎)


ってなりますわ。

………これもう、蛇足なんですけどね。

最近の怪談では、もう日本兵とか、落ち武者とか、花魁とか。

聞かなくないですか?


時の経過と共に霊魂の存在って消えていくのかな?

それとも。

話す人間の世代が変わっているのかな?

私は後者ですね。
怪談ってナマモノです。
今時、落ち武者出てきたら、小森のオバちゃまのモノマネ見せられた中学生の如く。


意味わからん。


で、終わりますからなw

それでも、まだ落ち武者出る場所があるなら………


それは本物なのかも。

しれんね。

ふふ


『残穢』解説 其の七 罪と穢(一)
2016-02-07 23:35:22

『ほんとにあった呪いのビデオ』ってあるじゃないですか。

霊の姿を捉えた投稿映像で構成される人気映像コンテンツですけどね。


おわかりいただけただろうか。


のナレーションでお馴染みですけど、あの声の主が、実は映画『残穢』の監督なんですよね。
パンフレット見るとですな。
原作者との対談が載ってまして、小野先生もファンなんだそうですよ。
「呪いのビデオ」シリーズ。

私もこういうの好きは好きなんですけど、実のところは嫌いです。
ここのスタッフ、だいっ嫌いですw

怪奇な投稿映像の調査に乗り出すパートが毎回あるのですけど、さて、どう説明したものか。
基本、私はこのコンテンツは投稿映像の形をとったフェイクドキュメンタリーだと、信じていますので、それを念頭に置いて読んで欲しいのですけどね。

ファンの方はよく知ってますよね。
このシリーズ七十作品くらいありますけど。



よく人死にますよね。



他にも失踪やら入院やら事故に合う。なんざ朝飯前ですよ。
そして、その原因はすべて霊障のせいになっている。

知らない方の為に一例挙げますね。

ある女性の背後に霊が映った映像が制作委員会に送られてきます。
制作委員会は調査に乗り出し、霊が映った原因を探ります。

結果、彼女をストーカーしていた男性がいて、かつ、その方亡くなっている事がわかります。

ここからが、個人的に、ほんとに信じられないんですけど。


それを本人に伝えちゃうんです。


彼女、体調不良で実家に帰ってしまいます。


………霊障か?それ。


彼女の気持ちになって考えてみて下さい。

見ず知らずの男にストーキングされてました。
その男とよく似た霊の様な顔が貴女の背後に映っていました。
その男性は亡くなっていました。

そんな気持ちの悪い情報を知らされてマトモでいられますか?
寝ても覚めても、キミ悪いですよ。
怖いし、気持ち悪いよ。
そんなもん。
会社辞めて実家に引きこもるなんて、あったりまえだわい。

このシリーズではこんなん日常なんですよね。
投稿映像の影響で心身に支障をきたし。

自殺する。
失踪する。
事故に合う。
連絡つかない。

そんなんばっかですからね。
酷い時なんか、嫌がる新人に無理やり探索を強要させたり。
明らかに触ったらマズい「もの」を触らせたり。

時には投稿映像で心身失調気味の人物を「あなたの映像で人が死んでるんだよ!」つって叱責したりします。

ばかやろう。

って話ですよ。
私がその場にいたら後ろ頭引っ叩くよw
そんで、ドラゴンボールのフリーザのモノマネで小一時間、なじり倒すよ。

お前は心霊を科学的に証明してるですか。
それを見た人が不運にも死んでいるからと言って、その人物を叱責できる根拠はあるのですか。
ドドリアさん。

言うて、苛め倒しますとも。
えぇ。

これ、フェイクドキュメンタリーだから、許すけど、マジでドキュメンタリーだったら。
オマエらとんでもない事しているぞ。

って思っています。

日本の法律では、霊障や呪いは法で裁けません。

もし、被害者や被害者家族が訴えても、霊や呪詛が科学的に立証されない限り、法律は無力です。
制作委員会がやってる事は、幇助でもなければ教唆でもない。

映像や情報を得て。

被害者が自身で死を選び、また、体調不良になっただけで、実は制作委員会には全く、罪が無い。

これは是非、覚えて置いて欲しいのですけど。

法に触れないで、人を死に追いやる事は、可能だという事を。
そして、自身も、また相手も、それと意識しないでこの様な現象が日常的に起こっている。という事を是非、念頭に入れて頂けると幸いなのであります。

日本の自殺人口は世界でトップクラスです。
では、なぜ自ら命を絶ってしまうのか。

実はこれも、閉鎖空間と関係がある。
と私は睨んでいるのです。

ちなみに、残穢の映画には本物の霊が映っていると、YouTubeで予告編として使われていますけど。
この予告編に出てくるのが監督の古巣『呪いのビデオ』の制作委員会です。

個人的にはすごくやって欲しくなかった事です。
興味のある方は見て下さい。
でも、決してマトモに捉えたらダメですヨ。

この人たち、なんか、凄い個人的には危うい。
もっと、自覚をもって戴きたいと思うのですよ。

えぇ。


『残穢』解説 其の八 罪と穢(二)
2016-02-09 03:00:05

思えば、神道は神「教」では無いし、陰陽道も陰陽「教」では無いですよね。

「道」

惟神の道というやつですね。
生きる為の指針や標識の様な概念。
という事は。

武士道

もまた、そうなんですよね。

そもそも穢れという概念の根本はなんなのでしょうか。

記紀にその根拠があるのですが、罪穢というやつですね。
黄泉から帰還した伊奘諾が禊を行う事で多くの神が誕生したのはよく知られるところです。
神話の世界からしてある。古い習慣の様ですね。

穢れとは罪とも密接な関係にあります。
罪=穢。
だからかどうかは知りませんが、日本人は前科者が受け容れられない。
それは前の記事でも書きましたけどね。
個人的には哀しい事ですヨ。

うん。
今回はその罪について触れるのであります。

私ですネェ。
妙な研究を進める過程で、どうしてもこの穢と対峙せねばならなくて。
色々調べたのですが、いまいちピンと来ない。
いや、それもそうなんですよ。

だって、私も日本人ですから。

帰国子女なら未だしも、日本でごく普通に育った日本人ですからね。
神道の概念とわからずに、知らずに何か行動をしたり、思考していたとしても。
それが神道の概念だと気付くのは難しい。
ピンと来ないのは当たり前なのかもしれないですな。

それは墨の中を泳ぐ黒鯉を探す様なもの。

これが帰国子女や外国人だったら。

なんで日本人っていっつも掃除してんの?
なんで道訊きたいだけなのに、会釈して逃げるように去って行くの?

とか、色々気が付かれると思うのですよ。

これは、結構大変だ。長くかかるぞ、これは……
とか思って早数年。
少しは気が付ける様になってきたかなぁ。とかいう所まで、やっとこさ来ましたです。

えぇ。
では、本題に入りましょ。

神道は神教ではない。
どちらかと言えば宗教というよりは習俗に近い。
開祖もなく、教典もない民族宗教。
キリスト教の様な普遍宗教とは根本的に質が違うのですよ。

まさに「道」という事になる。

だからかどうかは知りませんが、日常の習慣の中に、神道の概念が潜み、知らずに継承されている。
だから、教わってもいない「水」の性質を不思議と知っていたりするのだろうか。
とか、思いますよね。
同じ神道の概念。

「全ては水に流して」

これも面白いですよね。
かつての戦勝国、アメリカと仲良くやっているのはこの影響が大きいですよね。
是非、韓国にも同じ様に水に流して欲しいナ。
とか思いますけど、それは無理でしょうね。
だって、「水に流す」は神道の概念ですからね。
韓国にはおそらく無い考え方だ。
神道の概念。
例えるなら、これが日本人のDNAってヤツなんですかね。

水に流す

これも、知れば面白いですが、「清浄効果のある水」と「穢れを媒介する水」。
神道的には二つの概念があるのは先に触れましたが、この「清浄効果のある水」には特徴があるのです。
基本的に、この良い意味で用いられる水は。

流水

なんですよね。
そう伝統的に考えられている。
確かに。
思えば滝修行も流れ去る水だよなぁ。
風呂みたいな、浸かる印象って確かにない。
逆に「穢れを媒介する水」は滞る水と、これも伝統的に考えられています。
甕に溜まった水とかさ。
ボーフラでいっぱいになるヤツw。

全ては水に「流して」

これも面白い事に、「流水」なんですよね。
罪(穢)を流して、一から関係性を築き直そう。っていうわけだ。
面白い。
アメリカには原爆落とされたり、色々思うところはあるけども、それを流して、新たに友好関係を築いて来たわけだね。
日本人は。
神道の概念も悪いものばかりではない。
清浄を保つという発想がちゃんと正に振れる事もあるのですなぁ。
私も神道の概念を調べてて、ヘェ~って思いましたよ。
神道由来の水の性質がしっかりと継承されている事に吃驚しましたな。

うん。
それでね。
この様に、「道」、生き様の様な発想があるという事は、則ち、物理原則以外にも、神道の概念が広がっている証拠の様なものでして。

ハッと気がついた事があるのですよ。
合っているかどうかは知らないけど。

閉鎖空間は穢れの侵入を防ぐ為の物理的な考えでした。
塀や生垣を設ける事で、穢れの侵入を防ぐ為の物理的な手段に過ぎなかった。

この閉鎖空間。

もしや、物理的な法則に留まらず、精神面でも適応されているとしたら……

と、思ってみたのです。
そして、私の頭に浮かんだのは武士「道」。
武家社会。
切腹。ハラキリ。


これ、そうかもしれない。
って思ったのですよ。

武士道とは死ぬ事と見つけたり。

切腹は武家社会のみの習慣。
農民には関係ない。
なぜか武家社会だけ。

つまり、武家社会という見えない囲い。

閉鎖空間。

その中で行われる切腹。
ろくな裁判もなく、上長のものから言い渡されれば、死なねばならない。
ふざけた習慣。

そうか……
罪=穢か。
武家社会という閉鎖空間の清浄を保つ為に。
穢れを。


排除していたのか。


とか。
思ってみたんだ。
合っているかどうかはわからないけどね。
でも、神道の概念で解釈すると、なんか、納得なんですよね。

時は流れて、現代ですよ。
四民平等を経て。
垣根は除かれた。

武家社会は閉鎖空間ではなくなった。

しかし。

今度はそれ故、日本社会全体が、ある種の閉鎖空間として認識されているとするなら。

日本の自殺者は。

もしかしたら……

この神道由来の痕跡の影響を受けているのかもしれない。
とも、思ってしまうのですよ。

死をもって詫びる。
自分が生きている事が社会にとって申し訳ない様な気がしてならない。
なぜか、生きていてはいけない気がする。
生きている事が「罪」の様な気がして。

とか、思っているあなた。

ここは、イカれたおっさんの妄言に乗ってくだされ。
それは、日本民族が古くから持っている迷信に根拠がある。

死んではいけません。

思いつめないで、それこそ「流して」いきましょうぜ。


ぷわぁ~っと参りましょうw (by志村けん)


『残穢』解説 其の九 日本人の底力
2016-02-16 23:35:09

私も映画でしか見た事ないですが宮部みゆき先生の『ソロモンの偽証』

あれは一見、宗教色全くない様に見えますが、私には綺羅星の如く、神道色が見て取れますよね。
中学生が学校で裁判をする。
という、ちょっと現実では有り得ないお話のミステリーなんですけどね。
おーもしろいですよ~。

罪=穢
という認識が日本人にはあると申しましたが、もし気が向いたらで結構ですので、是非ご覧になって欲しいのです。
素晴らしい作品ですヨ。
そして、観終わったら、「罪」という台詞を脳内で「穢」という単語に置き換えてもう一度ご覧になってみて下さい。

こんなにも日本人って神道付いているのか。

ってちょっとびっくりします。
楽しい映画の見方じゃないけどねw
登場人物達が何を恐れていて、何が行動の原動力になっているか。
それが、神道的に理解できると思います。
皆んなして罪悪感から逃れようともがく群像劇の様な印象に不思議と変わってきます。
日本人って面白いです。

若干ネタバレしちゃうかもだけど。

罪(罪悪感)を払拭する為に、心理的には禊に近い行為を、皆んなして行っている様に見えてくるはず。
「偽証」していた人物の動機。
消せない罪悪感。
その父親の責任の取り方の理解の仕方。
犯罪被害者の家族に対する対応や畏れ。
主人公の決意の理由。
自殺した少年の叱責の内容。(これ、痛々しかったなぁ)
新米女教師の当惑(これは触穢信仰よりも御霊信仰が色濃い)

私的にはキラッキラしてますよ。

一番注目して欲しいのは、松子ちゃんの両親ね。

あれこそ、「水に流す」ですよ。

後編終盤にジュリちゃんが松子ちゃんの両親に謝りに来るシーンがあるんですけどね。
そのお母さんの対応がまさに神道的。

このジュリちゃんの所為で自分の娘、死んじゃったのですから。
挙げ句の果て、真実を述べずに、死んだ我が子の所為にして、逃げた子ですよ。

悔恨の念に駆られて、謝りに来たところで、許せるわけがない。

お母さん許してあげるのですけど、実際は別の見方ができる。
ほんとは「流して」いるだけ。
松子ちゃんが生前、ジュリちゃんの事悪く言わないで。ほんとは良い子なんだ。って両親に行っていた伏線があるので、それを匂わす台詞も回想もこの場面では無いけども、お母さんは一見、それを汲んで許している様に見える。
それが亡き娘の意思だから。
お母さん、ジュリちゃんに優しくしてあげるわけだ。(泣)
亡き娘が生前言っていた様に、ほんとはこの子、良い子ちゃんだったんだな。って視聴者も思って暖かい気持ちになる。
すごい良いシーンだ。

それ、台無しにしちゃいますけどw
よく観察してみると、実は本人を許している訳ではなく、ジュリちゃんの罪(穢)を流しているだけなんですよね。
というのも、隣にいたお父さんは駆け寄るジュリちゃんを無視して行こうとします。
それをお母さんが呼び止めて、娘の遺影をジュリちゃんに見せながら「松子もあの世でジュリちゃんを見守っているからね」って言うのですよ。

娘に謝れ。
なぜ、嘘を吐いた。

とか、無いのですよ。
同時に。

許します。
もう、良いのよ。

とかも、無いのですよ。
「許す」というよりは「赦す」って感じですよ。

「水に流す」という事は「無かった事にする」という事ではありませんからね。
実はジュリちゃんの罪(穢)を流しているだけで、本人は許してないのです。

この、明確に「許す(赦す)」って言葉が無いのが、神道的っぽいですナ。
これが外人だったらハグして「赦す」という明確な言葉がありそうなものですけどね。
キリスト教は懺悔に代表されるように「赦し」の文化ですから。
人間には許せない罪、到底人間同士では解決が難しい罪をGODが赦してくれる事で信者は心的苦悩から解放される。
「赦される」システムなのです。
精神衛生的には素晴らしいよなぁ。

日本のカミは厳しいですからナ。
むしろ祟りますからなw
神社とか建てて、神として祀って、ご機嫌とって、やっと怒りをおさめて戴く。
そんな感じですから、日本では赦される文化は希薄なんですよね。
カミによる救済ってあんま、無いのです。
だから、この映画の登場人物達は必死で罪を「流す」方法を模索して悩み苦しみ抜いている。

僕のお父さんはお母さんをDVで殴り殺したんだ。
僕は殺人者の息子なんだ。
だから、僕も将来そうなるかもしれない。
僕は生きていてはいけないんだ。

なんて台詞が劇中出てきますけどね。
如何にも中学生らしい、根拠に乏しい見解ですけども。
畏れる根拠に神道色を感じざるを得ないデスヨ。(私見)
教会へ行け……
信頼できる大人が近くに居ないのなら。
それも手の一つだぜ。
とか思ってハラハラしましたぜ。
思春期の子供なんて居ないのにw
親の気持ちになってハラハラしちゃったぜw

えぇ。まぁ。
そんなわけで。
こんな変な見方もできる映画です。(宮部みゆき先生、ごめんなさい)

面白いです。

長くなっちゃったけど。
本題入りますかな。(やっとかいw)

『今昔物語』巻二十
「下毛野敦行、わが門より死人を出したる語」

隣家の主人が亡くなったが、門が悪い方角に当たるので御遺体を運び出せないと知った下毛野敦行さん。
隣家の子供も自分の家族も死穢れを被るから反対したのにも関わらず、垣根を壊して自分の敷地へ御遺体を運び入れ、自分の家から出棺させてあげました。
下毛野敦行さん。
その死穢れの影響を受けるどころか、かえってその徳により子孫に至るまで繁栄しました。

とさ。

垣根を壊す。

これの意味するところはわかりますよね。
良い漢だな。下毛野敦行さん。
閉鎖空間を破壊した事で、隣家の穢れに汚染された穢地になってしまったわけだ。
自分の家が。
穢れちゃう。

でも、やったんだな。
カックイイぜ。

神道で解釈すれば、そう。アウトです。
ところがこの逸話。
そうはならない。
影響はない。
むしろその行為の徳で、子孫繁栄しています。


なぜ?


そう。
これ、仏教の概念です。
神道じゃ無いのですよね。

穢れに怯えていただけじゃあねぇぜ。
我らが先人は。
穢れに対抗するのは禊ぎ、祓えのみに非ず。

穢れが怖くて、恐くて。

怯えて。逃げて。籠ってた。

そんな民族はとうに滅びとるわい。
日本人はそんなにヤワじゃない。

神道だけでは無い。
仏教の概念もまた、あるのですよ!
日本の吸収力舐めんなって話ですよ。
神仏習合、和洋折衷。
カミは祟るが、仏は祟らねぇ。
神道は穢れを嫌うが、仏教は嫌わねぇ。
漢方ダメなら蘭学じゃ。
クリスマス、サイコー!
ハロウィンってなんだ!


我ら日本人は危機に対する切り抜方を、知っている。

だから、私も、そしてあなたも。


危機から脱する手段もまた、内在化していると知るのです。

人間個人は弱いかもしれない。
だが、民族となれば、また別です。

私たちの文化の下部には、根茎の様なものがある。
それは潜在的恐怖心を誘発させる「なにか」も当然継承しているかもしれないけど。
文化に「根」があるのならば。
対抗手段もまた。

継承されているに違い無いのである。

探してみよう。

おそらく、必ずあるはずだ。


そんな、さっぶい日々を送っております。

あぁ。
寒いw


要は適当ですな。
考え過ぎない。
悩まない。
気にしない、気にしない。
穢れなんて気にしないこってす。

一休さーん。(ハーイ)

仏教もまた、日本の文化よのぅ。

素晴らしいのである。



『残穢』解説 其の十 呪われた日本刀
2016-02-18 08:36:26

小説『残穢』には二つの呪物が登場します。

一つは先に紹介した「顔の歪む掛軸」
もう一つは「呪われた日本刀」です。

異様な痕跡を遺して朽ち行く廃墟。

この家主はこの様な呪物のコレクターだった。
でも小説家「私」は廃墟の様子を見て、性格が合わない。と判じます。
神棚、複数の仏壇、貼り倒したお札。
そんな様相を呈した廃墟の様子から、いわくつき物品を買い求め、ムフついている人物とは性格が一致しないって分析をしているのですな。

なぜ、彼はいわくつき物品を蒐集していたのか。

神にもすがり、仏にもすがり、それでも効果は無かった。
怪異に悩み、悪霊に怯え、それでもすがり続けたのに。
神仏は彼に救いの手を伸ばしてはくれなかった。

では、彼が最後に救いを求めたモノは……
彼が救われない理由。
その地に残る赦し難き罪とは。


映画『残穢』絶賛放映中であります。(笑)


今回はそんな呪物。
日本刀を解説する回であります。

日本刀に詳しい方ではないのですがね。
伝説染みた刀は、結構ありますよ。
現存しているのも多い。
酒呑童子を斬り伏せたと言われる刀、「童子切安綱」は現存してますヨ。
信長が台所に隠れた茶坊主を台所ごと圧し斬ったと言われる「へし切長谷部」
斬られた武者が川へ逃げ泳いだ後に首が落ちた。という伝説を持つ利刀「波泳ぎ兼光」
他にもまー面白いモノ多数ですよ。

またネーミングセンスが中二チックで。

良いですなぁw

男子ってこういう生き物だよなw
イカす(笑)

そんな中で私が個人的に好きな刀剣は


「にっかり青江」


私がすきだ。っていう段階で気がつかれる方も多いでしょうけど。
これも伝説を持つ刀剣でして。

「青江」は刀工の派閥ね。
「長谷部」とか「兼光」とかは刀工に由来するわけさ。


じゃあ、「にっかり」ってなに?


表情です。

柳の下で女がニッコリ。


柳の下で女がにっかり。


一文字違うだけで一気に骸骨感アップだナw


「にっかり」とは声を出さずに笑う女の表情。

「にっかり青江」は夜道で出会った女の幽霊の首を飛ばした。という伝承がある刀。
この伝承の主、つまり霊体を斬った人物は不明の様ですね。
江戸時代の調査でも判然としなかったとの事。
でも候補は三名ほどいるみたいっすよ。
鬼斬りは多いけど、幽霊を斬った刀は私が知る限りこの一振りのみ。

良いですなぁ。
良いネーミングセンスだわー。

ふふふ。

い、厭な名前付けるよなw

個人的には「にへっ❤️青江」位が丁度良いw
一気に萌え刀だわ。

………だけど、夜道であった「にへっ❤️」わなぁ……




(……………脳内シュミレート実行中………………)




うん。


斬れねぇ。


頭ぽんぽんしたくなる。


不覚。(?)




うん。
まぁ、こんな具合にいわく因縁付きの刀って多いモノでして。
伝承が刀剣名の由来になる。
当時から美術品扱いで、戦場で役に立つなんて事は無かったみたいですよ。
「にっかり青江」もそうですが、ちゃんと由緒由来の調査もしますしね。
それで「箔がつく」わけだね。

でだ。

肝心の呪詛が絡む刀剣ですけどね。

まぁ、代表格が「村正」ですよ。
えぇ。
妖刀「村正」

妖刀と言われる由来、知ってますか?
村正は刀工の名前。
応永年間に伊勢国で活躍した千五村正の事。
そして。

妖刀「村正」は。


実は一本じゃ無い。


村正一門作の刀剣群を言います。

徳川家になぜか不幸をもたらす刀でして。
家康自身も子供の頃、手を切っちゃったんだって。
徳川の天下になってからは諸藩、「村正」を持っていても口をつぐんでいたそうな。



時は流れて幕末です。



「村正」大ブレイクします。
徳川家に呪いをもたらす刀。
偽作もだいぶ出回ったみたいだけど、時が変わればナントヤラですよ。
倒幕の志士達が護り刀として買い求めたそうだ。

面白いモノですな。


残穢に登場する「呪われた日本刀」

由緒由来や個人で所有できるモノという事では。
(名品は国宝に指定されちゃうからね)


リアルに入手できたのは、この「村正」でしょうね。
時代背景も鑑みれば、倒幕が成って、蔵で用途を失った妖刀。







買おうと思えば、手に入っただろうよ………











(ちなみに原作では刀剣名は出てきません。ムダにリアルに考えてみましたw)



『残穢』解説 其の十一 見えない宗教色
2016-02-21 19:39:03

神道の概念が日常生活に埋没している事を、大半の日本人は意識できない。
それが神道に由来するとは思っていない。
この特有の行動が、いわゆる国民性に関係しているのではないか。
と、勝手に思うのですよ。

では。

同様に。反対に。

海外の映画などには、海外の人間が意識できていない概念が、逆に日本人なら見て取れるのではないか。

とか考えましてね。
ちょっと考えてみたら、個人的に「ん?」って思う事はありますね。

妙な傾向があるというか、なんというか。

ホラー関係に特によく出ている気がするのですが、例えばだね。

例えば、アメリカのホーンデッドハウスものとかで言うと、キーは「女性」ですよ。
最終的な救済の象徴って「女性」だったりするんだよなぁ。

あくまで私見ですが、これはマリア信仰の痕跡ではなかろうかと、思うんだ。
キリスト教は上部構造としてトリニティ(三位一体)を持っている。
神と子(キリスト)と聖霊。
三角形の構造を基本とする。
聖母マリアは実はキリスト教的には根幹思想に関わらない。
聖書の中にもごく僅かしか登場せず、かつ「人間」であり、「肉」の象徴だ。

聖母信仰が正式に認められたのは1950年。
キリスト教二千年の歴史で言うと、つい最近の出来事なんですよね。

でも、皆さんも不思議に思いますよね。

イエス・キリストよりマリア様の方が人気ありますよね。
奇蹟の内容も「〇〇のマリア」的なモノが大半ですからな。

あくまで私見ですが、構造としてキリスト教って父性宗教なんですよね。
天を象徴する厳しい神を中心に据える。
カミナリとか洪水でバシバシ人類を裁くお父さん的な宗教。

大地を象徴する豊穣の女神っていう「カテゴリー」が薄めだったりする。
これは元のユダヤ教がそうですから、その概念を継承している為、多分そんな感じなのだろう。と思っている。
しかし、人間や社会というモノは成長するものです。
おそらく19世紀に入ってからのニーズに応える形でマリア様は「トリニティ」では解決不能な問題を補填する形で信仰対象になっていったのではいか。と思うのだ。

色々調べると、マリア様の母性は、確かにキリスト教では解決不能な問題に手を添えている様に思いますよね。
陰陽ですな。バランス。
厳しいお父さんだけじゃ、だんだんついていけなくなっちゃうのでしょう。
男だけじゃあ、ダメなんだよなw
(とはいえイエス・キリストの登場はユダヤ教の厳しい律法体質を柔らかくしましたよ。これも一種の母性ですよ。お優しい方だ。ジーザスは。男性ですけどね。一応追記。)

それでね。
マリア様、結構いろんな事をして下さるのよ。
大忙しだw

剣を手にドラゴンと闘ったり。
悪魔と交わした契約書を奪い返してくれたりする。

これは、ジーザスが出張るにはちょっと、立場上アレかな?

みたいな時にマリア様って動くw
そんな印象を持っています。

いずれにせよ、近・現代人にとって、マリア様は必要不可欠な存在になっているっぽい。
だからバチカンも正式な教義に格上げしたのでしょうね。

それでね。
まぁ、ホーンデッドハウスもののあるあるですけど。

最終的に「女性」が「慈悲」を発揮して問題解決するシーン。

結構、多い気がするのは私だけですかね。
これ、製作者側は、マリア信仰を意識しているのでしょうか?

意外にそんな事考えないで作ってそうな気もする。

それとかね。
「ゾンビ」とかね。
死者が生き返るのが、なぜそんなに恐ろしい??

幽霊や悪霊の方がよっぽどおっかないじゃん。

とか、私は思うんですけど、未だにリビングデッド系って作られてますよね。
これも私的には宗教的な理由があってですな。

キリスト教は復活の思想。
輪廻転生じゃないのですよね。
神の国が成れば、皆んな復活する。というもので、死者はあの世で待機中なんですよ。
雑に言えば。
だから、伝統的に土葬なんです。
火葬にしちゃうと、復活した時に身体無いですからな。
映画とかではだいたい棺をそのまま埋めてるよね。
意外にハッとしますけど。
今でも基本、土葬です。
日本と違って、国土デカイからいけるのでしょう。
日本でやったら墓だらけになっちゃうよなw


神の国が成った暁には、死者は復活して、幸福な生活をおくる。


のだから、ゾンビって。
それ無視して甦るわけで。
これ、おそらく日本人が感じている以上に、キリスト教国家の人は恐いハズ。
宗教的なウラがあるわけさ。
リビングデッドって。

今回、テーマになっている日本人にとっての「穢れ」みたいな恐怖対象なんだぞ。
きっと。

それとカネ~。

殺人鬼ね。

殺した人間の魂をあの世で使役できるから。

とか、台詞で出てきません?
「エルム街の悪夢」とか「ゾディアック」でそんな台詞あるんですよ。
ホーンデッド系でも、殺された子供達が「助けて。」「解放して。」みたいな事をヒロインに訴えるシーン多いですけど。
裏にいるんだよな。
使役している屋敷の主がw

これもおそらくサタニスト(悪魔崇拝者)の発想ですからね。
多分に宗教じみているものですよ。
エンタメって。

えぇ。


だから、日本のエンタメも、なんだか知らんが、宗教じみているものですよ。
私たちは一見、わからないけどね。

「まどか☆マギカ」なんか、宗教的な気がしてしょうがないよ。
個人的には。
神道おっぴろげですよw

えぇ。


『残穢』解説 其の十二 安全装置

テーマ:ブログ
だいたい私のブログはフザけてますけどね。
私自身は決してご機嫌な人間では無いわけでw

でも、なるたけ危なそうなテーマの時は一発カマスようにしていマス。
えぇ。
スベりますけどねw

この小説を読んだ方は、気がつかれたかな?
全体的な風潮に合わない箇所が一箇所あるんですよ。
通して薄気味悪く、不気味で恐い流れなのに。
一箇所

ん?

ってなる所がある。
それは終盤も終盤で、すべての怪異の原因が薄らぼんやりした後の話。
(適切な表現が当てはめられないのだけど、普通の小説なら事件が終わって後日談的な部分。この小説は怪異が続きますから終わりと言い切れないのが、まどろっこしいw)

小説家「私」は原因不明の体調不良に悩まされていたのですが、事件の元凶を探り終えた後で快方に向かいます。
今までしていた首のコルセットも外れて日常生活に支障がなくなった。
ので、今では我が家の人体模型「もげたくん」の首を飾っています。


ってヤツなんですけどね。


映画版でも一瞬、「もげたくん」出てきてましたなw
これですね~。
多分ですけど、安全装置の一種ですよね。
意味わからないでしょう?

でも、この説明を聞けば、納得のハズ。

テレビでカウントダウン形式の映像を流す事あるじゃないですか。
幽霊やUFOとかの。
50位くらいから始めて、番組終わりに1位になるヤツ。

うわぁ。こえぇ。
とか思って、1位はどんだけ恐いんだろ。
って期待していると、だいたい、クッソくだらないのが1位で肩透かし食らった気になる事って無いでしょうか?

小っちゃい子は特に注意だけど、リアルとの境目がわからない人は、1位もガチ心霊映像だと。
引きずるんですよね。
たぶん、映像制作側の配慮だと、言われています。
だから、あっきらかに合成ものとか、わっかりやすいフェイク映像をぶっこんであったりするのですよ。
酷い時なんて、もうネットで製作者名乗り出た映像とか、平気で流しますからね。
でも、これで良いのですよ。
そういうものなのでしょう。

家で怪奇現象多発してんだけど!
どうしてくれるんだ、クラァ!

みたいな手紙や電話する視聴者も、長いテレビ業界の歴史であったんだよ。きっと。
だから、胡散臭さも少し紛れさすようにしたんだろうな。
なんて思っているよ。

今度カウントダウン形式の映像やる時は是非、注目してみて下さい。

番組終わり間際は特に肩透かす傾向にあるからw

うん。
というわけさ。
この小説『残穢』で「もげたくん」が登場するのはラスト2ページです。
おそらく小野先生も配慮なされた痕跡と私は判じるのであります。
実は隠れた安全装置。
ってわけさ。

もう一つ、っていうか本題の安全装置もあるよ。

この小説は

聞いただけで呪われる。
伝えただけで呪われる。


ていう、怪談が元凶なんです。
小説の中に実名で出てますけど、実際、その手のハナシってあります。

ヤバすぎて書けない。ってヤツ。
怪異が多発したり、関係者に死人が出るので、結末は書けないんだ。
なんて有名な話がありますよ。

でも、調べてみると、著者がイベントでおさわり程度に話したりしてるけどねw
商売の遣り方もいろいろだ。
ほんとにヤバイなら話すなっつーのw

かの稲川淳二先生も持ってますよ。
有名な人形師のお話。
この話は現在進行形で、今も話の怪異は続いている。
今まで話してきた怪談の幾つかは、実は繋がっているんだ。
一つの怪異から発生している話なんだ。
だけど、今回のイベントを最後に二度としない。
そう言って封印した「人形霊」の話。

DVD出てますけどねw

YouTubeで観まくりですけどねっw

まぁ、この手のヤバイ話ってジャンルであるんですよね。
話題作りにはモッテコイだよ。
これを気に実際聴いた人に怪異が起こって、それが広まれば。
タダで宣伝してもらっている様なものですからな。

この小説『残穢』。
オチがねぇ。って言ってAmazonで低いレビューがついてましたけどね。
いや、確かに。
わからないまま、話いきなり終わりますからナw
でも、実録怪談モノってそんなモノですよ。
原因不明の怪異を追っかけるわけですからね。
物語として完結して無いじゃん。
エンタメとして成立して無いじゃん。
って言われる方の気持ちもわかりますけどね。

でもね。
例え創作といえども。




聴いた人間が呪われる話。




書いて良いとは、私は思わない。
小説は知的創作物だ。
100年後も残り、読み継がれるとするなら。

後世の何処かのタイミングで、この創作怪談が。



悪さをしないとは、限らないのだよ。
歴史の中では幾らも例がある。
『シオン賢者の議定書』とかね。

あの偽書の所為で、ユダヤ人が何人殺された事か。


安全装置。


大切な事ですよ。
えぇ。


書かなかった事は実に正しい判断だと、わたくし。
僭越ながら思っております。
変なところで、小野先生の素晴らしき配慮を発見する。

変だよな。
俺w

着眼点が違いすぎるw


『残穢』解説 其の十三(完結) 文化依存症
2016-03-11 09:50:03

人間の身体の構造は人類共通で、さしたる差は無いのだろう。
故に病気の類は共通概念で対応できるのは納得だ。
暑いアフリカの人が別の地域で過ごすと腎臓結石になり易い。など地域によって変化は起こるのだろうけど、医療の範疇で理解可能だし、治療も可能だ。

ところが、身体ではなく、精神となるとどうだろう。

精神は身体の様にはいかない。
その地域に根ざした伝統、文化に育った人間は世界共通とは言い難い。
故に、画一的な治療法では対処が難しいのでは無いでしょうか。

文化依存症と呼ばれるものがあります。

これは特定の民族に好発するシンドロームで、アメリカ精神医学会の『精神障害の診断と統計マニュアル』第4版(DSM-IV)には幾つか例を載せている。
日本で好発するのは対人恐怖症。
今の所、私の知る限りこれ以外の報告はない。


特定の民族にのみ出やすい神経症。


ここから私的に類推するに、おそらく、その民族に根差した文化や習慣が関係しているのではないのだろうか。
では、更に推測するに。
では、これを見切り、発見し、対処するには。


どうすればよいのだろう。


画一的な精神治療では対処が難しい上に、そもそも世界的な比較検証の上発覚するのだから、発見そのものが困難だろう。
これを見切るには、民俗学、文化人類学に長けた精神科医の存在が不可欠だ。
だが、実際、そんな人物はいるのだろうか。
マンガや小説ならともかく。
リアルに「この永きにわたる風習が日本民族の精神に悪影響を及ぼしているかもしれない」何て事を、公言できる精神科医はいるのだろうか。
おそらく学会では相手にされない上に、「奇人」の二つ名をもらう事になるだろう。


私はなにかある様な気がしてならない。


名前をつけるなら「触穢症候群」のようなシンドロームが。
だが、先ず前提で言っておかなくてはならないのは。
精神学会もそんな存在を認めていないシンドロームを、精神科医でもないタダのおっさんが、創設する事自体、全くもってナンセンスであり、危険すぎる。
ここから先は、それを念頭に話半分で読んで欲しいのですけど。

実際にこの症候群があるとするなら。
例えば、帰国子女が日本社会に馴染めない。などの文化圏移動に伴う不定愁訴などに、明確な理由をつけられるかもしれない。
例えば、非科学的な加持祈祷のみによって改善する精神不安を「病気」として取り扱う事が出来るかもしれない。
例えば、ご近所や親族にいる妙に排他的で特定の行動に固執し、「やっかいな人」が視界に入る事を嫌い、その存在自体が我慢できなくなる「個性」の持主に、理由がつけられるかもしれない。

不定愁訴、精神不安、思い込み。

どれも病気ではない。
仮に過剰にその症状が出ても、別の神経症と診断されるだろう。

でも、その原因が、実は現代日本人が意識できない、表面的に埋没しているかつての風習「触穢」に影響されているとしたら。
少しは世の中の役に立つ情報になるのではないか。
などと、考えてはいるが、全くの根拠がない上に、現状、対処方法がわからない。


完全なるおっさんの妄想な訳です。


今回の『残穢』のテーマにも出てきますが「瑕疵物件」。
なんで日本人は前の借主が死亡しているとダメなのか。
これを私的に類推しますと、それは自身も意識していない「死穢の家」という認識が働くからです。
長い、とても長い。
長い間日本人を束縛し続けてきたかつての習慣を意識しているから受け入れられないのです。
幾ら「汚れ」を落として完璧なリフォームを施しても、「穢れ」は落ちていない。落ちない。
という認識を、なぜか日本人はしてしまう。
残った穢れが、自分に感染し、悪影響をもたらすと、なぜか知っている。
それ故、厭な印象をもつ。
そのくせ、建物自体が無くなれば後は気にせず、また、別の部屋なら気にならない。
なぜか「閉鎖空間」単位である事も、しっかり認識している。

穢れが感染性質を持つ事。
穢れは閉鎖空間単位である事。

古くは『延喜式』等に記載された、今は無きかつての習慣。

なぜ、こうも現代社会で、その痕跡が見受けられるのか。
なぜ、知っている?
どこで知った?
なぜ、そんなに気になる?


不思議の一言ですよ。


面白い。
日本人は、面白い。
日本人は知らずに神道的な行動をとっている。

私にはこんなにも明確な理由がわかるのに。
趣味で変な知識を身につけたお陰で、この様な現象の理由がわかる様になった。
でも、おそらく道行く人に。

「なんで前の借主が死んでいる建物って嫌なんですか。」


と、インタビューすれば、


「えー。なんか、嫌じゃん。嫌じゃないんですか?」


みたいな答えしか返ってこないのではないだろうか。
これでは帰国子女が日本社会に馴染めなくて、不定愁訴に苦しんでいても。


助けてあげられない。
誰も答えを出せない。
だって、日本人も意識していないのだもの。


それが、個人的には悔しいです。

ま。
よいですかな。
そんな話。

と、いうわけで、今回で最後ですね。
この解説で日本人がいかに神道的で、かつ、それを意識していないか。
という事をうすらぼんやりでも伝えられれば、幸いであります。

なので、今後、罪や穢に対処するハメになった場合。
個人的には以下の事を知識として持って欲しいのです。


穢れは最も重い死穢でも30日過ぎれば、消えます。
また、穢れは伝染する度にその感染力が軽減します。
そして、神道以外の概念。
日本人は御仏の慈悲、キリスト教の免罪などで乗り切ってきた過去があります。

怖いものではないです。

その点、強く意識してください。

文学やエンタメの中にはこの点に反した作品もたくさんあります。
今回の『残穢』もそうですけど。
そこが、日本人の意識できない恐怖心を過剰に煽る。ある種のテクニックだと思って下さい。
そして、エンタメとして堪能したら、すっぽり忘れてしまいましょう。
引きずらないようにして、精神衛生を保って下さいね。

『呪怨』や『リング』もまだまだ新シリーズが続きそうですがw
今度、コラボするみたいっすよっ!
伽倻子vs貞子らしいっすよっ!

いいですか。
穢れの感染力は、あんな風に無秩序に広がらないからね!
実際とは違うからね!
減るからね!

これが穢れの性質をエンタメに転じた、代表例だからね。
神道的にはウソだからね。

楽しく観た後は、忘れてちゃおうね。

ではね。

残秽,不可以住的房间残穢 住んではいけない部屋(2015)

又名:残秽:不能居住的房间/冤魂物业:残秽(港)/The Inerasable

上映日期:2015-10-25(东京电影节) / 2016-01-30(日本)片长:107分钟

主演:竹内结子 / 桥本爱 / 佐佐木藏之介 / 坂口健太郎 / 

导演:中村义洋 / 编剧:铃木谦一 Ken'ichi Suzuki/小野不由美

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